オヤジギャガーのひとりごと
Social Media Week Tokyo  初日 傍聴レポート

 今年からはじまったソーシャルメディアウィーク、初日に行って来た。1週遅れではあるが、以下レポートする。


 護国寺駅前に聳え立つ、どっしりとした造りの講談社社屋を入っていく。奥のほうにあるエレベータに乗るまでに、1階に並ぶ各部門の部屋の前を通り過ぎることになるのだが、そこに広がっているのは、非常に古色蒼然とした、昭和チックなようにも見える社員さんたちのしごと風景。これから始まる、いわゆる「時代の最先端」系の催し物とのミスマッチに、まず凝然とする...。

 会場フロアは、ひとむかし前に見た、学校の講堂のようなつくりだ。全体的に古びており、木目調のカラーリングの壇上には社章があしらってある。分厚いビロードのカーテンは既に開かれており、奥の壁面には大型プロジェクターからイベントのビジュアルやスケジュール等が投影されている。観客は、その正面に並べられたパイプ椅子や二階席に座るようになっている。自分は到着がやや早かったため、端っこだが、かなり前のほうの席へと誘導されることになった。



 進行は統制が取れており、ほぼ時間通りにイベント開始。驚くべきことに、場内はこの時点(平日の昼過ぎ)でほぼ満杯である。年齢構成は、ほぼ8割が30代以上で、高めの人で40代くらいだろうか。女性の比率もそこそこ。学生や、20代の若年層の姿もチラホラと見えるが、それほど多くはない。おそらく、いわゆる広告業界やメディア、インターネット業界などで、最前線におり、あるていど自己判断でスケジューリングや情報収集を行うことのできるキーマンや中堅プレイヤーがほとんどなのだろう。

 まず登壇してきたのはなんと現役の東大教授。内容は、リップマンやデューイなど、メディアや世論について先駆的な研究をなした理論家たちのあゆみを時代順に語っていくもの。リップマンの著作「世論」は、わたしも大学生時代に買っておいたはずだが、たしか読んでいなかったと思うw 非常に丁寧、かつわかりやすい解説で、こうした先達の業績に触れる貴重な機会になったものの、どうも、会場に来た面子のニーズには合致していなかったようだ。質問も出ず、教授もやや恐縮したように講演終了。



 さて、次が本日のメイン・イベント。田原総一郎氏と佐々木俊尚氏、新旧二名のジャーナリストによるトーク・セッション、いわば「昼でも生テレビ」である(この模様は、U-streamでも中継されているので、それぞれ職場のPCに齧りついていた人たちも多かったことだろう)。お二人はもとからの知り合いだったようで、なごやかな雰囲気から対論がはじまる。既存メディアの裏表を知り尽くしているが、デジタルについてはシロウト、佐々木氏に言われてさいきんTwitterをはじめた、というような、いわゆる「高齢デジタル・ディバイド代表」キャラである田原氏の疑問に対し、やや若い(ちょうど50歳だそう)の佐々木氏が丁寧に答えを用意していくような展開。

 対論の中途、おそらく会場の大半が期待していたであろうあのネタに、田原氏が触れる。「そういえば、Twitterでの議論のなか、匿名のひとに絡まれて佐々木さんが相手の実名をさらしたら相手が謝ってきたそうだね?」

 既に知っている人が多いと思うので詳細には触れないが、この対論のつい数日前、佐々木氏と、数名の匿名のTwitterユーザが大激論するという事件があった。立場的には、既存メディアのダメさ加減をやっつける佐々木氏VS それに反論する既存メディア関係者であるところの匿名ユーザたち、という図式。最終的に、激怒した佐々木氏の手によりひとりの匿名ユーザの実名と所属会社が晒され、ほどなく(おそらく社内的な調整があり?)全員が佐々木氏に対し、機械的なフォーマット文で、棒読みの詫びを入れてきた、というのが大まかな経緯。

 そしてその一連のスパイシーな流れを、(わたしのような)無数の部外者が終始目撃(体験?)することになった。正直、他人のケンカほど見ていて面白いものはない。この情報はリアルタイムで、また終わったあとも連綿とシェアされ続け、その結果として、前述のごとく田原氏の耳にも届いたということだろう。

 ...そして、田原氏から振られた佐々木氏、本件については苦笑いしながら、「まあ、そうですね」的にさらりと触れたのみで終了。激論の余韻を引っ張る、ちょっとホットなコメントを期待していた聴衆としては、やや肩透かしである。

 対論は、さしたる山場もなく、そのまま淡々と、無難に終了。

 もちろん各所に、次世代のソーシャルメディア時代のありようを示唆するヒントが散りばめられた、内容の濃い対論だったことは間違いないのだが、なんとなく、一番食いつきたかったポイントを、大人の配慮で流されてしまったような不完全燃焼感が残る。



 続いて登壇したのは、元マッキンゼー(名門コンサルティング企業)で、多くの韓国企業の世界的成長を後押しした実績を持ち、現在は日本に戻って若手起業家のスタートアップ支援に全力投球しているという赤羽雄二氏である。

 いわゆる大物の登場だが、残念なことに、さきの田原/佐々木対談が終了した段階で退場者が続出、満杯だった会場がこの時点では7割程度の入りという状態になってしまっていた。みな元から田原氏目当てだったのか、仕事が忙しいのか、あるいは内容に飽きてしまったのか?たしかにこの日は初日で、基調講演的な出し物ばかりだったため、こうしたイベントに必要な、浮き立つようなワクワク感がない。新しい時代を作り出すための思想や未来の設計図を描くはずが、(古めかしい講談社の講堂内という雰囲気も手伝ってか)いつのまにやら登壇者が、あまり反応のない観客に対しボソボソと持論を語るような展開になってしまっている。

 これからの日本は、若者が救うしかない!才能は溢れている、ただ、閉塞し、ガラパゴス化しきった既存日本社会のさまざまな意味なき呪縛が彼らを苦しめているのだ、機会を与え、環境を与え、飛躍のチャンスを与えれば彼らは必ず大きな実りをもたらすに違いない...大略このような、アツい赤羽氏の語りにもかかわらず、場内はやや冷ややかな空気に包まれている。赤羽氏の講演内容にも、弁舌にも、もちろんなにも問題はない。問題は、おそらく観衆の側にあるのだ(わたくし含む)。



 ほとんどが30代以上で、学生や、20代の若年層は多くない。また、既存の広告業界やインターネット業界(注。既存インターネット業界のプレイヤーが、必ずしもソーシャルメディア時代に、全員「勝ち組」となり得るかどうかはわからない)などに属するビジネスマンたち。彼ら(私たち、と言い換えるべきか)にとって、今日の壇上で語られていることを短くつづめると、おそらく、こうだ。「もはや、君たちの出番は終わった。未来は、若者たちのものだ。もはや、君たちに居場所はない。」

 もちろん明示的にこのような酷いことを講演者の誰かが言ったわけではない。別に年長者だからとて、ソーシャルメディア時代(?)の今後もどこかで役に立てることはあろうし、おそらく居場所がないなんてのは、ひがみも入った一方的な誤解なのであろう...しかし、ライブイベントにおいては、無言のうちにも、なんとなく空気のうちに伝わってくるもの、がある。すなわち主役交代。そこはかとない「御用済み」感。

 少なくとも、これまでは比較的先端のコミュニケーション業界の現場で、時代を切り開いていく仕事をしていると思っていたのに、ある日とつぜん、顔も知らないニュー・キッズたちに椅子を奪われ、以後はその下働きしかできなくなってしまう、というような漠とした不安。

 要は、立つ瀬がないのである。登壇者のうちの誰かが、このような心理状態にある聴衆に対し、フォローの一言でも投げかけてくれていれば、または、ややブラックでもいいから、観衆の不安を掬いとるようなユーモアで場内の空気を和らげてくれていれば、この次に来る展開もずいぶんと救われていたであろうが...。



 初日の最後の演目は、期待の若手起業家数名によるパネル・ディスカッション。それぞれ、本来的な意味でのソーシャル(社会貢献的な意味あい)と、先端のスマートフォン・アプリなどを組み合わせたビジネスアイディアを朗々と語る。自分がやっていること(やってきたこと)への自信と、未来を信じている眼の輝き。観客席の大人たちは、ふうん、という感じで受け流す(ように見えた)。少なくとも、彼らのビジネスに感動し、共感し、次なる動きを支援し、ともに時代を変えていこう!というような熱気を帯びたバイブレーションは、会場のどこにも感じられない。

 さらに、壇上においても笑えない事態が。事前のリハ不足か、段取りが悪かったのか、あるいは参加者の熱気のあまりの暴走か...気がついたら各人のプレゼンが長くなり、さいごのパネル・ディスカッションの時間がほとんど無くなってしまっていた。モデレータ役を仰せつかっていた同じく若手の有名ブロガー氏(この人も、佐々木氏同様、ネット上でのトラブルめいたやり取りに巻き込まれたことで、さいきん野次馬たちの間で有名になっている人だ)ものけぞり、「あと5分でどうやってまとめろと...」みたいなことを呟いている。

 ただでさえ、場内の空気とは乖離がある。そんなアウエイで、(彼ら若者のせいだけではないのだが)この上すべり感。わたしはこの時点で、いたたまれなくなって(というのは嘘。次にアポイントがあったので時間がなくなった)会場を後にした。




 閉塞し沈滞しきってしまった日本。老朽化し制度疲労を起こしている社会システム...そして不幸なる群衆。ソーシャル・メディアなるものが、そんな憂鬱なことどもを一掃してくれるのではないか、輝かしい未来をみんなで作るきっかけにできるのではないか。今回のイベントは、そんなポジティブな未来を垣間見させてくれるものであるかのように、私は一方的に誤解をしていた。ところが、そこで示された、残酷なる現実。すなわち、私に居場所はない。みんなにもない。(そしてあのぶんではたぶん)あの若手たちにもない。




 完全なるペシミストと化した私に、夕暮れの2月の風が容赦なく吹きつける。



 ソーシャル・メディア・ウィーク初日。わたしの胸には、ぽっかりと大きくうつろな穴が空き、脳内ではただ、この曲が延々とリフレインし続けていた。


♪ なんにもない なんにもない まったくなんにもない

♪ うまれた うまれた なにが うまれた

         <中略>

♪ なんにもない だいちに ただかぜが ふいてた



(最後は冗談で書いてますから、あんま真面目にとらんといてくださいねw)